人間科学科で主に社会心理学を担当しています、河合直樹です。
今回は、私が力を入れている研究を紹介します。
それは、書道の先生に「なる」という研究です!
『え?そんなの研究になるの??』
…と思いますよね。
私が書道の先生をしているのは、札幌市内にある通所型の福祉施設。
主に高等養護学校を卒業したばかりの、だいたい20歳前後の青年たちが通っています。
これまで2年間、この書道教室をほぼ毎月続けてきました。
とにかく、毎回が驚きの連続です。
一枚の半紙を書き終えるのに1時間くらいかける人。
書道の時間なのに、絵を描き始める人(しかもめちゃくちゃ上手)。
自分の好きなことや最近の出来事を、文脈そっちのけでひたすら書きなぐる人。
もはや読めないくらいに線をひらすら重ねていって、自分の思いを表現する人。
そして、その土台がグラグラと音を立てて揺らぐのを感じるのです。
「一枚に1時間かけることの何がおかしいのだろう?」
「書道の時間は文字しか書いてはいけないという暗黙のルールに、いったいどれだけの価値があるのだろう?」
「逆に自分が書く状況になったときに、本当にためらいなく“自由に”書けるだろうか?」
「文字は“きれいに”書けないと恥ずかしいという感覚を、いったい私たちはいつ身に付けたのだろうか?」
ここに、「書道の先生」と「心理学の研究者」という“二足のわらじ”で現場に入る意義があります。
現場のリアルな動きを全身で捉え、自分のもっていた仮説や思い込みを絶えず反省することをとおして、その現場で展開される豊かな活動の意味を、心理学的に見出していくのです。
“二足のわらじ”の良いところは、他にもあります。
書道教室を始めてから半年くらい経った頃、書道教室の雰囲気が内向きになってマンネリ化してきたことを、私は懸念していました。
ちょうどその頃、青年たちもよく利用する近所のお総菜屋さんの女性店主が、この書道教室に参加してくれるようになったのです。
この女性は、毎月の書道教室を心から楽しみにしています。
その溌溂とした姿は、女性と長い付き合いをもつ施設スタッフにとっても驚きを隠せないほど、大きな変化だったそうです。
そうした女性の存在は、青年たちにもポジティブな変化をもたらしている可能性があります。
施設長いわく、「学生(青年)たちだけでは、“ただ漫然と書いているだけ”という感じだけれど、そこにこの女性が加わると、明らかに学生たちの雰囲気はガラッと変わる」とのこと。
この変化がいったい何を意味しているのか———それを的確に説明する言葉を、私はまだ見つけられていません。
まさに「研究」しがいのある、きわめて刺激的な問いだと思います。
このように、いろいろな人と協力しながら現場を良い方向に進めていける可能性もあります。
これは、「書道の先生」と「心理学の研究者」のどちらか一方だけでは、なかなか実現しにくいことです。
「研究」とだけ聞くと、なにやら研究室や実験室に引きこもっているような、閉鎖的なイメージがあるかもしれませんね。
でも、当事者と積極的に関わっていくことで現場を改善していくスタイルもあるのです。
このような研究スタイルは、専門用語で「アクション・リサーチ」と呼ばれています。
「研究」という世界の広がりと深み、なんとなく感じてもらえたでしょうか。
ちなみに、書道の先生に「なる」という研究スタイルを見つける前までは、書道は個人的な趣味にすぎませんでした。
大学院生の頃に、たまたま東日本大震災の被災者の方と会食する機会があり、その席で「うちの地域に来て書道教室をやりませんか?」とお誘いを受けたのが、この研究スタイルのすべての始まりです。
今は自分のために続けている趣味や活動も、思わぬご縁から“誰かのために”なる日がやって来るかもしれませんよ。