モンゴル国チントルゴイ城址の調査成果刊行
2009年3月に本学総合研究所から『チントルゴイ城址の研究Ⅰ』を刊行しました。2006~2008年度の3年間に,日本私立学校振興・共済事業団の学術研究振興資金の助成を受けて実施した調査の中で,特に測量調査の成果部分をまとめたものです。
チントルゴイ城址は,11世紀初めに契丹(遼)国によって設置された鎮州の治所跡と考えられています。鎮州は,契丹の北方にいたタタールなどの遊牧集団との最前線に設置された辺防州ですので,日本でいうと古代の多賀城や陸奥鎮守府などに近いかもしれません。
城址といっても,単なる軍事施設ではなく,周囲約3.7kmを城壁で囲い,内部は道路により碁盤状に区画され,その中に建物が配置されています。京都(平安京)やそれをモデルとした札幌中心部のように,整然とした設計を持つ都市ということができます。現在は,何も無い草原ですが,900年前には大都市が広がっていたのです。ここには数万人が居住していたと思われ,調査の結果,城壁の外にも居住地があることが確認できました。また,生活用水や農耕のための灌漑用水のための水路が近くの川から引かれていたことも,地上観察や航空写真から確認できました。都市ですから当然生活インフラの整備も行われていたわけです。なお城址の詳しい内容については,私のHPを参考にしてください。
大規模な遺跡ですので,測量もかなりのハイペースで行いましたが,それでもよくできたなというのが感想です。この測量図に基づいて,今後は発掘しながら測量からの仮説を確かめていく必要があります。そして,このような都市の建設と維持,人口集中が草原地帯で行われた場合,当然周辺の自然環境に大きな影響を与えたことが考えられます。また,都市を維持するための生産・流通も考えなくてはいけません。そのため,都市内部の調査,土器や鉄製品などの地元産品の生産の解明,陶磁器など外部から持ち込まれた製品の検討,花粉等による古環境変遷の解明など多くの課題が残されています。
同程度の規模を持つ奈良の平城宮跡はすでに50年間調査が継続されていますが,それでも調査の割合は半分に及んでいません。もちろん,人員や予算に限界のあるモンゴルでの都市遺跡調査は,さらに時間がかかることは間違いありません。今年度から調査の主体は,中世城郭の第一人者である奈良大学の千田嘉博先生にお願いすることになりましたが,私も当然調査に関わっていきます。この成果を第1段階として,モンゴルでの調査研究にとりくんでいく予定です。