以下、山口さんからのメッセージです。
私が10歳の時、当時8歳の弟を交通事故で亡くしました。こんな事があるまでは、どこかの誰かが私とは無関係な世界で起こす悲劇だと、交通事故のニュースを見ても他人事に思っていました。あの事故から10年がたち、月日は残酷に流れて行きました。記憶が薄れ、声も忘れかけ、生きていれば作れているはずだった思い出も作れず、ただただ悲しく無念な気持ちになることがあるのです。
「ねえ、兄弟はいるの?」こう聞かれて困ったことはありますか?私はこの質問がとても苦手です。「兄弟はいない」と答えられるとよいのですが、そう答えると弟を失ったという現実をまざまざと突き付けられるのです。また「事故で亡くした」と答えると、その場の空気を気まずくしてしまいます。この他にも日常生活で、何でもない場面でふと考えてしまうことはたくさんあります。私が異常に考えすぎなのかもしれない、同じ経験をした人と話してみたいと思い、北海道交通事故被害者の会の遺族の方に会いに行きました。遺族の方もやはり私と同じような思いをしてきたそうで、そこで、私が考えすぎていたわけではないことに気がつき、とても安心しました。そして、北海道交通事故被害者の会が訴え続けている「いのちの大切さ」について、私も被害者遺族の一人として訴えていきたいと強く思い、札幌学院大学でのいのちのパネル展開催に到りました。
私は、被害者遺族の一人として、「他の人にはこんな経験を絶対にしてほしくない」と願っています。交通事故により、いつ誰が被害者になるかわかりません。でも、当事者でなくては、その苦しみ、無念さがわからず、どこか他人事のように思えてしまうものですよね。しかし、被害者への無関心から加害者の立場になってしまっては、取り返しがつきません。加害がなければ被害はあり得ません。
「いのちのパネル展」は札幌学院大学内だけではなく、北海道のさまざまな場所で開催されています。もし、見かけることがあったら、このパネル展をきっかけに、被害の実相を知り、失うはずがなかったいのちを失わないために何が出来るか、そのことについて少しでも考えていただけたら幸いです。
ふらっと立ち寄った学生も
パネルと山口さん